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広島県大崎上島町に現存する櫂伝馬のブログです。
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和船のつながりということで、


江波漕伝馬保存会もがんばっておられます。





櫂伝馬といっても、大崎上島の競漕用とはタイプが違うのが面白いですね。
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今回の櫂伝馬はいつくしま

木江の人ならよくご存じの名前のひとつでしょう。

何年かぶりに、櫂伝馬を写真でみさせてもらったけど、

通常の和船とくらべ、

無駄がない

コンパクト

まさに、

櫂と船頭のための走るための

省スペースの見本みたいだ。



ふっと、

日本のゼロ戦を思い出した。



漕ぎ手の、足場も前の漕ぎ手との空間も

必要最小限

日本人の体型に合わせた

和の精神を設計に感じさせずにはいられないね。

FRPとくらべ、木造船には暖かみ、柔らかさが同居している。


宮島に櫂伝馬がくるまでの与太話でした。

瀬戸内海の歴史として、村上水軍の歴史

日本財団 図書館 映像寮で以前 公開されていました。

リアルプレイヤーでみることができます。

大変貴重な資料だと思います。

40分と長いですが、是非みて欲しいと思います。

5月15日の「日本経済新聞・夕刊」に東京湾に打瀬舟を復活させる協議会の
今回の回航に関しての記事が掲載されました。



打瀬舟、東京湾に「帰港」 民間団体が6月回航
2010/5/15
日本経済新聞


 東京湾で40年前に姿を消した木造の漁船「打瀬舟(うたせぶね)」を復活させる
民間プロジェクトが進んでいる。

第1弾として6月、熊本県に現存する1隻を譲り受け、東京まで回航。

募金が集まれば2隻目を製造する…



東京湾に打瀬舟を復活させる協議の今回のキーワードは、

東京湾の環境問題、水質改善、和船復興など、色々なテーマが隠れている。



一方、我が大崎上島の「旅する櫂伝馬実行委員会」は、町おこし、櫂伝馬のアピール
祭りの継続をキーワードにしている。


私自身の願いは、和船の復興、全国認知、そして「大崎上島の櫂伝馬を全国区」にしたい!

もっと、多くの人に、日本の海洋文化を理解、海に目を向けて欲しい願いがある。


永続できるテーマだし、今後努力すれば、きっと報われる時が来る。


失うには、早すぎた貴重な文化がたくさん隠れている。

今回の大崎上島の櫂伝馬が宮島に向かう 2日間の道のりは、多くの人に、色々な体験
や、テーマを提示してくれるだろう。

シンプルにいい物はいい!

まさに、シンクロニシティなんだ!


海の道がこのイベントをとおして再認識されることを、強く願っている。


そう、全国に和船文化のすばらしさを再認識して欲しい。


合理性の中で失われてきた海洋文化を、若い世代が見直し復興しようとしている。


どれだけすごいことか!


まだ、一ヶ月も経っていないホームページだけれど、

時間の経過と伴に、全国規模のアクセスとなり、大きなうねりが生まれるのなら、
こんなに嬉しいことはない。


今回、6月5日、6日の二日間を使って櫂伝馬で大崎上島木江港から、宮島まで、船旅をします。

木江厳島神社と宮島厳島神社の関係を説明しているサイトがありましたので、転記させて頂きます。


現在日本三景の一つである厳島神社は,またの名を宮島大明神といって世の人々に親しまれていますが,このようなお話が残っています。この宮島さんの祭り神の一人である「市杵島姫命」にはその昔,二歳になるお子様がおりました。

 それはそれはかわいらしいお子様で姫のかわいがりようは,目に入れても痛くないほどのものだったといいます。

 ところがある日大変なことが起こりました。

 姫のかわいがっておられたこのお子様が突然姿をかくしてしまったのです。

 どこへ行かれたものか,誰も連れ去ったものか,さっぱり見当がつきません。

 姫は大層嘆き悲しんであちらこちらと,あらん限りの力を絞ってお探しになりましたが,その努力のかいもなく,とうとうお子様を見つけることはできませんでした。

 さて,それからというもの,姫はすっかり元気をなくしてしまわれました。

 毎日毎日,遠くを眺めては,ほっとため息をつくばかり。

 また,どういうわけか雉の鳴き声を聞くと,身にしみて耐えがたいといわれるようになりました。
 そして今まで住んでおられた土地を離れ,どこか平和で美しい安住のできる土地を求めて遍歴の旅に出られたのです。

 瀬戸内海に浮かぶ美しい島をながめながら船を進めていくうちに,やがて姫は大崎島の神の峯を見つけられました。

 まず,木江浦に寄られて上陸してみたものの,山道は険しく木がおい茂り,とても登っていけそうにありません。

 そこで,船を北西に廻して矢弓の加組の鼻でひと休みしていると,大崎の大西ではみんなで海に鳥居を作って,姫のこられるのを歓迎しているのが見えました。

 さっそく姫は,その方に向かって船を進め神の峯に登ってごらんになると,そこからの眺めはまた一段と素晴らしいものではありませんか。

 姫はこの地こそ安住の地であると思われ,沖の小島に見とれておりました。
 ところがそのときです。

 一羽の雉がどこからともなく飛んでいると,姫の頭上で糞をして逃げていってしまったのです。

 姫は,日頃から雉を心よく思われていなかっただけに,この出来事を大層気にかけられて,とうとう神の峯を立ち去って行かれたといいます。

 そしてその後,大串の外浜で船に乗られ他の地を求めて,西へと船を進めていくうちにやっと理想的な安住の地を見つけられました。

 それが今の宮島であると伝えられています。

「安芸の宮島広島の昔ばなし」(山口青旭堂発行)より

 この民話に出ている市杵島姫命が立ち寄られたゆかりの地,木江,矢弓,大串には姫を祭る厳島神社が建立され今日に至っています。
また,姫を迎えた大西にはその昔,海であった場所に伝説の大鳥居の朽木が残っていましたが,長年の風雪により倒れたので,その後に石碑が立てられています。この倒れた朽木は大崎町の歴史民俗資料館に寄贈され,展示されています。
また,八幡山の西南西,鹿の池谷にかって大西厳島神社鎮座の旨が文政二年(1819年)の中野村の国郡史御編集下弾書出張控に記載されています。

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