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広島県大崎上島町に現存する櫂伝馬のブログです。
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広島県大崎上島町の東野小6年生が16日、長崎市で8月にある和船をこぐ大会に参加するのを前に、東野の鮴崎(めばるざき)港周辺で櫂伝馬(かいでんま)の練習を始めた。

児童10人が櫂伝馬を長年こいでいる保護者から習った。鮴崎地区の住民グループ「若木会」から借りた全長約11・5メートルの櫂伝馬に乗り込み、「ヨイサー、ヨイサー」と掛け声を出しながら櫂のタイミングを合わせた。

 青少年育成県民会議の「夢配達人プロジェクト」に選ばれた6年生12人全員は、8月7日に長崎市伊王島のペーロン大会に参加。現地の小学生による伝来の和船ぺーロンとこぎ合い、被爆地広島と長崎を結ぶ平和交流をする。

【写真説明】息を合わせて櫂伝馬の練習に取り組む6年生


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地域結んだ、旅する櫂伝馬



ひろしまのチカラ!朝日新聞から    2011年01月10日



「旅する櫂伝馬」に取り組んだ大崎上島の青年たち=大崎上島町、高橋正徳撮影




厳島神社の鳥居に迫った「旅する櫂伝馬」=昨年6月6日、廿日市市、旅する櫂伝馬実行委提供


■漕ぎ出す 元気ある島へ

赤い大鳥居が近づいてきた。昨年6月6日。約70キロ東の大崎上島(大崎上島町)から宮島へきた全長11メートルの櫂(かい)伝馬(でん・ま)船が、厳島神社の鳥居の下をくぐった。櫂を漕(こ)いできた18人の若者たちは互いにハイタッチして喜びをはじけさせた。島の伝統を島外にPRしようと、初めて企画された「旅する櫂伝馬」。リーダーの藤原啓志(けい・し)さん(26)は胸を熱くした。

大崎上島は周囲60キロ、面積38平方キロ。対岸との橋がない、県内最大の離島だ。だが主要産業だった造船業の衰退で、1965年に2万人だった人口は8500人に。島で生まれた人の8割が、進学・就職先を求め、高校卒業までに島外へ去る。

島内木江地区出身の藤原さんもその一人。福山市の大学を中退し、広島市へ。音楽バンド・扇風機mania(マニア)を結成し、5年前にインディーズデビューした。都会生活にすっかりなじみ、将来が輝いて見えた。

ただ、毎年夏は必ず故郷へ帰った。櫂伝馬船の競漕(きょう・そう)に漕ぎ手として参加するためだ。中世に水軍として活躍した「大崎衆」の流れをくみ、200年以上の歴史を持つ勇壮な神事。だが帰るたび、年々すたれているように見えるのが寂しかった。

「櫂伝馬船で、今までにない、何かおもしろいことしませんか」。08年8月、藤原さんはインターネットの交流サイトに書き込んだ。島外から多数の反応があり、うち2人の男性が参加してくれた。

呉市の会社員、野村誠治さん(47)と山口県下関市の船員有田翼(たすく)さん(27)。藤原さんは競漕を撮ったDVDを送り、交流を深めた。すると有田さんが「島とゆかりが深い土地を船で結んだら」と提案した。思いがけないアイデアだった。

09年5月、藤原さんは有田さん、野村さんと島へ渡り、同世代の漕ぎ手約10人を居酒屋に集めた。「櫂伝馬船で外洋へ出よう」。波の荒さを心配する人もいたが、「やろう」という声が勝った。島には厳島神社の分社が三つあり、毛利元就が宮島で陶晴賢(すえ・はる・かた)に大勝した1555年の厳島合戦の前、大崎衆が救援に駆け付けた故事も伝わる。だから宮島まで船でいこう――。構想が固まった。

バンド仲間が就職し、一人で音楽活動を続けていた藤原さんだが、“旅”を成功させたい思いが募った。「音楽はどこでもできるが、櫂伝馬は島にしかない」。09年12月に帰郷、町の臨時職員に採用された。

通常、島の祭りは地区ごとに別々だ。だが藤原さんたちはあえて、島中の漕ぎ手に参加を呼びかけた。8~56歳の男28人が名乗りを上げた。その一人、岡本哲和さん(39)は「島の若者が一つになるのは、本当に大きな意味がある」と振り返る。

455年前に大崎衆が宮島へ旅立ったのと同時期の昨年6月5日、快晴の木江港から、櫂伝馬船が滑り出した。途中で1泊した呉市の阿賀港で地元の子どもたちを体験乗船させた。みんな「大崎上島へ行ってみたい」と目を輝かせた。

2日目の午後からは、岡本さんら先輩世代が宮島の直前まで櫂を引き受けた。「ゴールは任せる。伝馬船を見せてこい」。藤原さんたちは、ラストスパートをかけた。

大崎上島の人々が、ゴールに待ち受けていた。「フレー、フレー、大崎!」。声援が押し寄せた。宮島の住民も「感動をありがとう」と横断幕で迎えた。藤原さんは涙をぬぐいながら言った。「僕たちの島に、素晴らしい祭りと船があります」

7月には愛媛県・大三島の祭りに参加。「島を越えて、仲間の輪が広がれば」。同島や因島(尾道市)で櫂伝馬に携わる人々と交流した。さらに同月、島の夏祭りで伝馬船に腰掛け、打ち上げ花火を見ていた時だった。見知らぬ人たちに話しかけられた。関東などで暮らす島の出身者たち。「旅する櫂伝馬をニュースで見て、久しぶりに帰ってきた。本当にうれしかった」。口をそろえた。

「島はやっぱり不便」と藤原さん。だが、あの旅で確認できた。「櫂伝馬は僕の生きがい。それがある島を、人生をかけて元気にしたい」。今年も、新たな旅を考えている。(中野寛)

≪キーマーク≫広島県の島

海上保安庁によると、県内には約140の島がある。このうち、本土との橋がないなどの理由で離島振興法上の「離島」に指定されているのは大崎上島など14島。1980年に江田島など5島が指定を解かれたのを始め、計14島が離島でなくなった。島と本土間が比較的近く、瀬戸内しまなみ海道など架橋整備が進んだためだ。一方で都市部に人口が流出するストロー現象も深刻で、指定解除イコール島の発展、との構図にはなっていない。


ふるさと発スペシャル あいたい
「瀬戸内の冒険王~照英・村上水軍の島々へ~」(仮)


【本放送】平成22年11月12日(金)午後8:00~8:43<中国地方向け>
【再放送】平成22年11月13日(土)午前10:30~11:13<中国地方向け>





かつて瀬戸内に男の帝国を築いた猛者たちがいました。その名は村上水軍です。どんな権力にも一致団結で立ち向かい続けた男の中の男たちです。その魂に触れて男を磨きたいという俳優の照英さんが瀬戸内の島々に旅に出ます。そこで出会うのは400年前から伝わる海賊船に青春をかける若者たち。奇想天外な船で世界制覇を狙う船造り職人。そして海賊入門の授業を受ける現代っ子たち。照英さんは、果たしてどんな“男気”を手に入れるのでしょうか・・

放送が楽しみです。

広島県大崎上島町の若者が櫂伝馬(かいでんま)をこいで宮島(廿日市市)へ向かった6月の航海を、海田町の俳人井上気海さん(65)が歌にした。島の知人と一緒にゴールで出迎えた感動などを基に、島の伝統を受け継ぐ若者の姿をたたえている。

 「男度胸の大崎衆が 海を行く 旅する櫂伝馬」―。タイトルは、実行委が企画した航海の名称と同じ「旅する櫂伝馬」。

3番まであり、演歌調の曲は知人に頼んで付けた。

 大崎上島の句碑や寺を、5年前ごろから何度も訪問。櫂伝馬を見たことはなかったが若者のチャレンジ精神に心を打たれた。

駆け付けた宮島では「感動をありがとう」と記した横断幕を手渡した。

 俳人として作詞もするため、歌づくりを決めた。

「グローバルな時代だが、郷土愛あってこそ」との思いで、若者約30人が約75キロを2日でこぎ切った情景を歌詞に込めた。



【写真説明】櫂伝馬競漕を初めて観戦し、島の若者への感動を新たにする井上さん(8月、大崎上島町東野)

中国新聞 朝刊から


櫂伝馬(かいでんま)競漕(きょうそう)が盛んな広島県大崎上島町で若者たち有志が5日、宮島(廿日市市)に向かう航海へ出発した。

1泊2日で厳島神社の大鳥居を目指す。大崎上島の和船文化を世界遺産の島でアピールする。

 「大崎衆」を名乗る島の男性が全長約11メートルの櫂伝馬に乗船し、約30人で交代しながら片道の約75キロをこぎ進む。

「旅する櫂伝馬」として実行委員会を発足して準備した。

 出発式で、実行委の藤原啓志会長(26)は
「一丸となって、楽しく宮島へ」と抱負を述べた。

白いユニホームを着た一行は午前8時すぎ、天満港(木江)近くの桟橋を出発。

「エイサー、エイサー」の掛け声に合わせ、瀬戸内の島々を縫って進んだ。



【写真説明】宮島へ向けて櫂伝馬でこぎ出す大崎上島町の若者たち
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